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命日 山県郡千代田町教委社会教育課長 様 [┌人権擁護法案]

96/06/22 自殺 広島 山県郡千代田町教委社会教育課長

(同和利権の真相1巻-p216より)

どの様な経緯でお亡くなりなられたのか、氏名等詳細不明でありますが
本日命日であります。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

                               平成17年6月22日
                                ブログ鷹森

 

ps.享年48才と改めて同和利権の真相を確認しましたら記載ありましたので、追記させて頂きます。


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日比谷6/19報告 [┌人権擁護法案]

日比谷6/19報告

日比谷公会堂に参加してきました。
前回4/4の時は後半だけ参加でしたが、今回は前半1時間だけ参加でした。前回平沼赳夫議員の講演を残念ながら聞き逃していたので、TV外の生としては今回が初めてです。いやはや面白かった、話題をどう選びどこに話を集中させるか、場の空気を読みどういう声のトーンで話すか、多分にTVで見ても分からない”生のことばで聴衆を沸き立たせる力”というのを目の当たりにし、とても勉強になりました。やはり場数をこなした代議士は違います。たぶん、ネットで内容は流れるでしょうしチャンネル桜でも放送するとの事なので、そちら経由で見られる方々は多いと思いますが、政治演説の実力の違いというのは、TV画面経由では分からないという感想ですね。よく政治家の演説というのは面白く無いものの代名詞として語られますしテレビを見る限りそう思う事が多々ありますが、今回は非常に面白かった。もっとも、通常より猛烈に力入っていた感じはありましたので「真剣になった時の政治家の実力」なのかもしれませんが。
 その後に続いた古川禎久議員は、結構肩幅がある先生でして、椅子に座っている時からとても、窮屈そうにしておられましたね(いや、そう見えるだけかもしれませんが)しかし、講演が始まるととてもパワフルです。まず、声がでかい。TVでは音量調節が入るので伝わるかどうか分かりませんが、声が半端でなくでかいです。いや、マイク無しでやれそうと言うと、大げさですが。さらに内容もパワフルです。「5月報道が少なくなり心配をかけたけど、その間猛勉強と猛烈に度々法務省と会合を開き、議論としては総てに完勝している」という旨の話をされまして、思わず聴衆がどんな顔をしているか、つい癖でぐるっと見回しましたが、どうやらみなさん勇気奮い立っているような面立ちで、熱気を感じました。(法務省と議論していて完勝していたなんで、ちょっとその場面を見てみたい気がしますね)
ただし、大義名分だけでは残念ながら勝てない国民の理解が必要だとも訴えておられました。
 次に主催者の平田さんからで、非常に落ち着いた口調で話され腹の据りっぷりを感じましたね。しかし、残念ながら私はこの途中でリタイア。どうも噂だとその後の話が猛烈だったらしいですが、一番面白いところを聞き逃してしまったようで残念です。

○お礼

告知協力して頂いた方々、この場を借りてお礼申し上げます。
どうやら2100人以上集まり、大成功の内に閉会したようです。
ちょっとした告知のでも、それで一人でも増えているかも知れません。また、アクセスが少なくても、余所で告知していると、自分も安心して告知するものです。皆様方全員のは一切無駄になっておりません、総てが成功に結びついたと確信しております。お礼を申し上げる立場にはないのですが、身分をわきまえず失礼を承知した上で、心より感謝お礼の気持ちを表明させて頂きます。ありがとうございましたm(__)m

○参加できなかった方々へ

おそらくネットで内容は方々に流れると思います。
また、チャンネル桜でも放送されるとの事で、以下主催者サイトより引用します

>チャンネル桜での緊急特番は、十五日18:00-20:00の放映です。
http://blog.goo.ne.jp/jinken110

チャンネル桜さんのサイトも貼っておきます
http://www.ch-sakura.jp/

内容詳細は上記を閲覧あるいはネット等で検索下さい。
あとは、生の雰囲気・迫力・熱意・熱気を当ブログから感じ取って貰えれば幸いです。

  
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告・日比谷公会堂に集結せよ~第二回人権擁護法案反対集会~ [┌人権擁護法案]

既に皆様ご存じと思いますが
人権擁護法案を危惧する国民協議会 人権擁護法案を考える市民の会
http://blog.goo.ne.jp/jinken110
正式名称が長いのでみんな「集会サイト」と呼ぶ上記ブログにて
第二回人権擁護法案反対集会の告知がなされました。

第一回たしか、4/4月曜日かと思いますが
推定1500人以上(当初は1300以上と発表)集まり
TVタックルでも紹介され、「真の人権擁護を考える懇談会発足」
きっかけとも言える重要な場面でした。
主催の平田氏によると、今回は

>情勢がかなり危機的であると推察されますので、
>改めて国民の意思を示す場が必要と考え、開催を決定しました。
六月十九日 日曜日 12:30~16:00 日比谷公会堂に集まってください!!!より

との事です。
もはや反対の声が満ち、選挙協力をエサに
強行突破するしかなくなった人権擁護法案ですが
その強行突破の意思を打ち砕くために
より多くの方をお誘いしてください。


日比谷公会堂に集結せよ~第二回人権擁護法案反対集会~

  
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敵を知る後編(こうすれば怖くない第四弾) [┌人権擁護法案]

こうすれば怖くないシリーズ

第一弾「部落解放同盟と戦った弁護士達
第二弾「敵を知る前編
第三弾「敵を知る中編

上記続編に当たります。

なお、引用文は文字色をグレーにしています。
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敵を知る後編(こうすれば怖くない第四弾)
今回は、糾弾会の中身について焦点をあててみます。

第六章 糾弾会の中身

テキスト、可能なら録音テープを入手して確認したいのだが、残念ながら糾弾会の発言を詳細に記載した内容は見あたらないため、推測するしかないです。
そこで、いくつかの糾弾会にそれぞれ焦点を当てて紹介します。

 1.真宗への糾弾

まず真宗に対する波状攻撃を紹介

・「落書き」で三一教区で糾弾会

差別落書きで全国三一教区が各地域の解同から糾弾会をされ、最後には本山で糾弾会3回、差別化戒名再調査を約束させられる。(文脈から1994以降と思われる)という事件が起きている。(詳細は下記真宗フリートークのリンク先参照)

・字体が変なのが差別?

引用始め
部落解放推進員の人が、お墓を調べたところ、漢字だが、教科書にもない変な字の法名がたくさんあるというのです。その後、被差別部落の墓石以外からも出まして、異体文字ではないかという話もあります。
 この話を更に厄介にしたのは、過去帳には普通の漢字で記され、墓石だけが変な字体だったことです。この件では「過去帳まではお寺の責任だがお基に刻まれた字体までは責任が持てなどという住職の意見も出て、「住職は問題から逃げようとしている」と批判されました。

引用終り

上記二つとも出典は
真宗フリートーク(99年3月発行)基幹運動・同和問題・岐阜龍谷会事件
 自由にものが言えてこそ真宗教団
」より

他にも怒濤の糾弾会が掲載されているが、記載省略

結果として「実はここ数年、私たちの浄土真宗本願寺派の教団はいささか重苦しい雰囲気の中にあったと感じております。」(殿平善彦住職、真宗フリートーク)

・教団宗会に見切りをつけた?次期総長が宗会議員辞任

迷走・西本願寺にみる「同和」の威力


すさんでいるのは、酒生文彦次期総長有力候補が差別発言があったと
されて追放処分された件。これは解同が直接手を下した訳ではないが
糾弾体質が伝播したのか、それとも乗っ取られたのか・・・本願寺内部で勃発している。しかも、この差別発言は捏造疑惑すらある。

引用始め

 たとえば、懇親会の席上、もっとも間近で酒生氏のことばを聞いていた高橋純勝宗会議員は当初から、酒生氏の差別発言は聞いていないと証言していたのにもかかわらず、教団内では一顧だにされなかった。高橋議員は最終的には法廷の場で、酒生氏の差別発言を否定する証言をおこない、酒生氏の完全勝訴に大きな役割を果たしたが、事件当初、松村総長からこんな趣旨のことをいわれたと、証言している。

「差別発言を聞いていないといえば酒生氏を擁護することになり、あなたも差別者になる。聞かなかったというのなら難聴を示す医師の診断書を提出しろ」(松村氏はこの事実を否定している)

引用終り

本人は差別発言を否定したが、弁明は受け付けず、高橋氏の証言も無視である。細部はリンク先に譲るとして、ともかく6年に及ぶ法廷闘争に発展する。

引用始め

 第二ラウンド。納得できない酒生氏はその後、京都地裁に地位保全仮処分の申立てをおこなう。これが認められると今度は教団側が異議申立てをおこなうが、九五年一〇月二日、両者は和解する。その内容は、お互いに裁判所への申し立てを取り下げること、酒生氏は混乱を回避するため宗会議員を辞任すること(つまり「除名」は成立しなかったということ)、教団はこの件で酒生氏に不利益を課さない、両者は今後この件に関し相手方を攻撃しないこと、などというもの。

 これで一件落着かにみえた。ところがその直後、教団は次のような見解(宗派談話)を発表する。第三ラウンドである。

「(酒生氏が訴えを取り下げ、宗会議員を辞任したということは)酒生氏が自らその発言をしたという非を認めたことであり、同時に宗会として行った除名処分が正当であったと自らが認めたことを意味します。」

 さらに基幹運動本部も、同様の見解を発表、今後も酒生氏の意識変革を求めていくと宣言した。

 酒生氏にしてみれば、辞任は本意ではないが、これによって身に覚えのない「差別発言」を理由にした除名処分をなかったものにするという判断だった。その「和解」が完全にねじ曲げられてしまったわけである。

 さらに、酒生氏から差別発言を受けたと主張する九折氏は、「名誉棄損」「侮辱された」として酒生氏に損害賠償を求める新たな裁判を起こし、これにたいし、酒生氏も「差別発言」をでっち上げたとして九折氏と中岡順孝氏(宗会議員で問題の懇親会にも出席。もっとも積極的に酒生氏の「差別発言」を主張)を名誉棄損で訴えた。再び「泥仕合」がはじまった。

 一見形勢不利かにみえた酒生氏だったが、この訴訟によって事実上の完全勝訴を勝ち取る。京都地裁判決(九九年四月二二日)は、双方の訴えを棄却するという判決だったが、最大の焦点である「差別発言」の事実は認められないと判断したからだ。酒生氏の「差別発言」を聞いたとする参加者の証言は「証拠価値に問題があり」、九折・中岡氏の供述も「本件懇親会の進行、推移の状況に照らして不自然で、その内容に疑義がある」と判断。その一方、「差別発言」は聞いていないというべつの証人の証言は「一応信用することができ」、「被告(酒生氏)の供述も不自然な点は見受けられない」、「被告が、懇親会の席上、『エタの金ではない』と発言したとの事実は認めることはできない」と認定した。原告、及び西本願寺側の敗訴である。大阪高裁でも同様の判決が出され(九九年一二月二一日)、九折氏側が上告しなかったことにより、今年はじめ判決が確定した。

引用終り

善悪真偽に関係なく一歩引くというのは謙譲の美徳、日本の伝統的な美しい風習の一つですが、どうやらそれが通じない。「差別発言」があったのか無かったのかは、部外者の私には判断つかないが和解条件を事実上無視しているのは明らかにおかしく、そうすると連鎖的に差別発言があったとする当初の主張も非常に疑わしく思う。

その後、酒生氏は教団宗会に見切りをつけたのか
次期総長有力候補と言われた人物さえ、宗会議員を辞任するという異常事態に陥っている。
(宗会議員=国会議員に相当し慣例で総長はこの中から選ぶ)

・そして浄土真宗西本願寺派は・・・

上と同じく「迷走・西本願寺にみる「同和」の威力」より抜粋引用

龍谷大学元教授の加藤西郷氏は、解放同盟の強い影響下にある教団・基幹運動の非民主性を批判し続けているが、その弊害はここ数年いっそう顕著になっていると指摘する。

「いちばん気になるのは、対話ができなくなっていることです」

 以前は問題はあったにしても、批判意見が排除されることはなかったし、それなりの役職にもつけた。今は意見の違いが認められなくなっている、同盟の意に沿うもにしか認められない。また、そうするうちに、反対意見をもっている人がそれを表明しなくなってきている、それが組織をますます風通しの悪いものにしている、という。

「今日の教団をめぐる数々の不祥事の背景には、そういう基幹運動によって、教団の民主性が腐らされてきたことがあると思います」

引用終り

なんだか、人権擁護法案成立の風景を垣間見る感じがし、不気味さを感じる。

解同による糾弾会と本願寺自身による糾弾の2つを見た。さて、次に「同和はこわい考通信No.152」によせられた関係者(僧侶と思われる)K氏の寄稿を紹介する。

引用始め

“過去の悲惨さに居直ることにより相手の言論を封殺し、それによって自らを絶対安全な場に置き、そこから声高に恫喝するやり方は決して容認できない”。
(中略)
シナリオ通りの一幕の芝居、もしくはセレモニー(儀式)というべきか。全国津々裏々を巡った興業は成功裏に終了した。「総括書」という詫び状まで手に入れて。
 お断りしておくが、解放同盟そのものをやり玉に挙げるつもりで、裏話を暴露したわけではない。点検糾弾会の不当性と、糾弾する者が正しいとは限らないことを言いたいだけだ。(略)/先に点検糾弾会を部落解放同盟の示威行動だとしたが、認識が甘かった。あの場は我々僧侶に変質した「信心」を認めさせる所であった。一坊守の、「信心さえあれば、全て解決されるんではないでしょうか」との質問が否定され、彼女が「すみません」と謝ったことが、正しくその象徴である。個人の領域では、全ての問題が、「信心」という自己の内面で昇華され、解決できるという彼女の言い分は、決して間違いではない。だが自己完結する個人の信心では、差別が社会問題である以上、外に向けての行動を伴わない限り、力になりえない。だから、そのような考えは間違いだという、解放同盟の指摘も、運動団体の言い分としては理解できない訳ではない。問題は、彼らの言うことが完全な詭弁でありながら、誰もそれを指摘できないことである。(略)
 点検糾弾会において屈服したことは、我々僧侶に二重の苦痛を与えることになった。一つは、部落解放運動に取り組まない僧侶は、「信心」がない者であるという根拠が出来たことである。彼らの主張に唯々諾々としたことは、“信心を得た念仏者”が社会運動(具体的には部落解放運動)をするのではなく、“信心すること”に、もはや部落解放運動が内包されていることを結果的に認めたことになった。何故なら、彼らが言う「信心」とは、「信心の社会性」に他ならないからである。このことを認めた以上、我々は身も心も解放同盟に完全に支配されたと言えよう。これが二つ目の苦痛である。(略)力関係では、もはや彼らの方が上であることは間違いない。加えて、「信心」という個人の内面に関することまで決定権を握られたら、最早どうしようもない。これでは二重支配構造である。
 我々はあの場において、なんら反論することなく彼らの主張を認めたことを、懺悔すべきである。勝てる道理はないにしろ、彼らに富山の坊主は一筋縄ではいかないと、最低思わせるくらいの徹底した論戦を挑むべきであった。そうしたなら彼らにしても、今までのような尊大な態度で我々に接することはないであろう。(略)
 何故、我々にとって最も大切な「信心」の内実を、“真実信心”から“信心の社会性”に貶めてまで、部落解放運動に取り組ませようと画策するのか。差別を憎む人間の一人として、一人の念仏者として教団が運動に協力することには諸手を挙げて賛成し、自らも協力者の一員に加わりたいと念願するが、如来から賜る「信心」を理念とするのではなく、解放同盟が標榜する「信心」のもとでの運動に与(くみ)する気持ちは、サラサラない。(下略)〕

引用終り

文中から何を読みとるかは人それぞれだろうと思うが、「人の心」「信心」まで踏み込み支配しようとする解同に対する憤りとそれに負けてしまい支配されてしまった教団に対する悲痛な叫びを私は感じた。

現在、真宗は解同の要請に従い、救済法(≒人権擁護法案、もしくは=人権擁護法案)の設置要望、狭山再審闘争などの協力をし、政党や国会議員などへの請願運動に協力させられている。さらに、いくつかのホームページを本願寺内に持ち(「新潟教区教化センターを運動の拠点として一層活用しましょう」 多分調べれば他にもあると思うが調べる気にもならないので一例だけ)と、もはや活動拠点の一つという観すらある。本願寺のネームバリューは、何も知らない一般市民などには巨大なのかも知れない。

2.図書館への糾弾

次は防衛成功した事例である。
高木奈保子(名古屋市鶴舞中央図書館)
図書館の自由 先輩の肩にのって―名古屋市図書館の自由問題小史より

『名古屋市史』問題

 この名古屋市史問題はいろんな意味でエポックメイキングな事例である。全国図書館で初めて組織内に自由問題の専門委員会を設置した契機になったこと。図書館として主体的に関わり、それまでは問題提示者と衝突別れするか、上部の意向どおりに閲覧禁止にするかしかなかったこの種の問題で曲がりなりにも妥協点を見いだし、図書館資料を守ることができた最初の事例であること。

(中略)

『名古屋市史』全12巻、刊行は大正4-5年および昭和9年。近世から明治時代にかけての名古屋が具体的に描写されている。学術書ではないが郷土資料として不可欠の古典。当時名古屋市図書館15館中14館で所蔵。
 1979年7月、愛知県郷土資料刊行会から復刻許可申請書が名古屋市役所に提出される[限定300部、全予約制]。総務局(部局名等はすべて当時の呼称)は市長名で「許諾」。

(中略)

11月始め、市同和対策室の職員が偶然書店でみて問題を発見。

(中略)

1.(差別語なので自主規制)などの賎称が使用され、そのことごとくが地名と結び付けてリアルに表現されている。
2.内容は歴史的記述であるが、地名は現在の町名または戦前まで使用していた地名であり、意図的に使用すれば『部落地名総鑑』(注:被差別部落の地名を明示した本で差別を目的として売られた。多くの企業が購入し社会問題化)と同じ作用をする危険性がある。

(中略)

 12月7日、同和問題啓発小委員会(=4局説明会)開催。運動団体(当時も2団体)の意見が伝えられる。
 解同愛知県連は、「市史は差別図書と認める。復刻版は一冊残らず回収せよ。削除部分の焼却処分には同盟の参加を要求する。市史の購入者全員の研修をせよ。」
 愛解連(愛知県部落解放運動連合会)(鷹森注、全解連系だと思います。)は、「市史は歴史書であって差別図書とは言いがたい。ただし、図書館での取り扱いは慎重にせよ。この問題について学者・図書館・市民を交えた検討をしたい。」
 この会において総務局は市史の全冊回収、主体的処分の実施、全面削除の決定をいう。が、同対室は内部で削除については6:4に意見が別れており流動の可能性を認める。図書館は全面削除は困る、白抜きでは不良本とまちがわれてしまうと発言。

(中略)

しかし、行政の力関係からいっても最も弱い図書館の意見は4局説明会の中では本流とはなりえない。あざ笑いの中、全面削除の決定に加え図書館が当事者と会うなどまかりならぬの空気が支配した。
 このままでは不完全な削除版しか提供できなくなると憂えた図書館は、非公式に有志ら(図問研職員)がこっそり運動団体に会いにいった。79年12月半ばのことである。当時の一有志は語る。「実を言うと怖かった。何寝ぼけたことを言ってきたと叱られると思った。しかし水平者宣言(注:部落解放運動においての「自由宣言」みたいなもの。くわしくは自分で調べてください、感動します!)に<自由平等の渇仰者であり、実行者であった>と書いてあるくらいだから、きっと図書館の自由も理解してくれるはずだと、前もって何回か集まって理論武装し、意思統一もした。県連の暗い階段を昇りながら何度も何度も自分に言い聞かせたことを今も鮮明に覚えている。」
 「名古屋市史から部落の記述を削除することは部落解放運動の源流を否定し、歴史の抹殺ではないか」と言いつのる図書館員に対して県連幹部は「わかった。問題は地名だ」と答えたという。それらが功を奏したかどうかわからないが、4月になって突如として市は地名記号化による全面復刻を提示した。図書館は全面削除は避けられたと胸を撫でおろし、記号化案にそっての資料提供の形を模索して検討を続けていた。そこへ思いもよらぬ完全復刻の報が・・、戸惑いは隠せない。聞けば、解放同盟愛知県連は地名記号化案で了承の方向であったが部落解放同盟中央本部の見解を打診するために県連書記長が大阪へ出張、そこで同盟中央は歴史的事実の削除はもとより記号化にも反対し完全復刻の見解を示した。書記長は部落解放研究所へまわり3時間にわたって村越末男・大阪市大教授の指導をうけ「地名の記号化も歴史的事実の隠蔽であり<臭いものにフタ>と本質的に同じである。寝た子は起こすべきだ」と指摘される。中央の見解を県連に持ち帰り検討。極めて紛糾して収拾がつかなかったが「同盟は中央・地方一体の組織であるから、中央の見解は愛知県連の見解である。」との書記長発言でとにかく収めたという話である。

引用終り

上記文面からは「市史は差別図書と認める。復刻版は一冊残らず回収せよ。削除部分の焼却処分には同盟の参加を要求する。市史の購入者全員の研修をせよ。」と全購入者への研修まで要請するのは明らかに過剰である。だが憂えた図書館が非公式に有志らがこっそり運動団体に会いにいき。しかも水平者宣言を調べ、「前もって何回か集まって理論武装し、意思統一もした。

敵を知り、理論武装と意思統一、そして何よりも勇気「県連の暗い階段を昇りながら何度も何度も自分に言い聞かせ」が勝因であるかと思われる。それから、解同内部にも考え方が違う人々が多くいるようだ。これも考慮すべきだろう。また、解同だからといって総て悪意ある敵ばかりだけではなのも事実だろう。


3.篠山市職員による「窓口対応差別事件」の糾弾要綱

解放同盟は糾弾会を開催するに当たり「糾弾要綱」なるマニュアルのようなものを作成しているらしい、その中で兵庫県篠山市に対する糾弾会の糾弾要綱なる文書がweb上に確認できたのでこれを紹介する。

篠山市職員による「窓口対応差別事件」の糾弾要綱
http://www2.odn.ne.jp/uemura/jinken/youkou.htm

ここまでかなりの長文なのでもう事件の詳細は省きリンク先を参照してもらいたいのだが、窓口に来た人物が同和地区である事を嫌がり、地名変更を要望した際の発言に対して役所職員が不用意に「そうですな」と発言した事に端を発し、なぜか「その発言をよく知る」人物からの解同への匿名電話で発覚した事件。市側の不適際「上司が発言を無かった事にしようとした」などもあり、市長以下幹部を巻き込んだ糾弾会で全面降伏している。興味深いのは以下の点

1.即座に対応ができなかった事を問題にする。
2.不用意発言を「職場の人間関係」などの原因にしている

第七章 振り返って~まとめ~

・すり替え

原因の掘り下げは、本願寺のケースでもいつのまにか信心の問題にすり替えられているが、篠山市も、職場の人間関係などに巧妙にすり替えられている。これは、他の糾弾会にも共通するが、直接の問題Aから連想できる原因BあるいはCなどに原因をすり替える事で、当初の予定よりはるかに介入する口実を増やしている。実際に、上記篠山市は「3人だけの問題だけでなく、市の認識の希薄さが明らかになったとも言える。 」といつの間にか市全体の問題に発展している。また、即座に対応できなかった件については本願寺での糾弾会や全国で相次ぐ差別事件(2002年版)でも類似記述が見られる。

全国で相次ぐ差別事件(2002年版)p42より抜粋引用
十二月十一日、また差別落書きが発見され(中略)午後十一時三五分ごろ、団地の警備員が発見したもので(中略) 今回、差別落書きを発見した警備員は、すぐに覆い隠したものの、京都住宅管理センターに連絡したのは翌十一時二十五分と遅く、京都市には午後一時三十分ごろになってやっと連絡がはいった。しばらく差別落書きが見つかっていなかったため、緊張感がなくなっていたためだと思われる。
引用終り

夜の11時25分頃である。早い人はもう寝ている時間である。たたき起こしてでも連絡せよとでも言うのだろうか?これで「緊張感がなくなっていた」などと言われたらたまったものではない。介入する口実は幾らでもあるといったところか。

・糾弾される人の気持ちを想像してみる

 上記様々な糾弾される立場の人間になったつもりで想像してみると、例えば篠山市職員であれば「職場の人間関係に問題があった」という論調で来られると、失言自体を問題にするより非常に辛いだろうと想像する。これは本願寺で信心の問題にされるのもそうだが、「理論ではなく心を攻めてくる」という感触を受ける。これを侮辱と捉え激怒したり、あるいは罪の意識を感じて動揺したりして平常心を失えば敵の思うつぼという所か。興味深いのは役人に対しては「職場の人間関係」本願寺に関しては「信心」と、相手に合わせて攻め口を変えている点だ。一見なにげないが、相手に合わせて「こういう奴にはどういえば効果があるのか」と解同は”相手の立場に立って”考えているのが伺い知れる。相手の立場に立って考えること自体は一般的には素晴らしい事だが、それを糾弾に利用するのもいかがな物か、惜しい、才能の使う方向を間違えている。

・心に留めておくべき点

また、本願寺での解同流の手法がより悪化して伝播している例や、その仲で謙譲の美徳が通じない事例も心に留めておくべきだろう。

・敵を知れば、矛盾詭弁が見えてくる

図書館の方は防衛成功例なのだが、図書館側が解同の様々な発言を調べ理論武装したのは正解だったと思う。解同が暴力団や過激派と決定的に違うのは大義名分を取りに来る点で、本願寺の事例でも、役所の事例でも、いつのまにか解同が正しくて、糾弾を受ける側が間違っているという形にもっていかれてしまっている。ところが、一つの糾弾会あるいは側面だけを見れば整合性あるいは説得力があったとしても、他の糾弾会や発言と比較すると矛盾する内容が必ずある。おそらく、その場その場で詭弁で取り繕う為、より広い目で見れば整合性が取れないのだろう。やはり、敵を知るという事が非常に重要で、もし糾弾会に招待されてしまったとしても、解同について十分に知っていれば負けることは無い。解同は、過剰に恐れられているし、実際に何も知らなければその行動は恐るに値する団体なのかもしれないが、見抜いてしまえば何も怖い事はない。言うまでもないことだが、解同だから、あるいは部落だからと言って差別する必要も、ダークイメージで見る必要もない。内部は様々な人がおり、良心的な人もいるだろう。まずは見抜く事が勝利の第一歩であると思う。


(※本文は3倍ほどの長さでしたが、投稿できなかったため他の糾弾会を省きました。また「解同を批判する人々」「解同と仲良い政治家」「内部からの批判」「解同と選挙」などの項目を丸ごと削除しました。削除分は改めて投稿する予定です。)

(追記1 真宗は西本願寺、東本願寺(浄土真宗大谷派)および他派の真宗十派を合わせた浄土真宗の総称と解釈しています。文中の本願寺とは、東西本願寺両派を合わせた意で使っています。もし用語が誤りでしたらご指摘下さい。)

(追記2 指摘を受けて誤字脱字修正。また、その他の誤字等も修正)

  
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敵を知る中編(こうすれば怖くない第三弾) [┌人権擁護法案]

敵を知る中編(こうすれば怖くない第三弾)

こうすれば怖くないシリーズ
第一弾「部落解放同盟と戦った弁護士達
第二弾「敵を知る前編

上記続編に当たります。

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第五章 糾弾の日々を追う

・糾弾会の分類

糾弾会・・・差別が明らかな場合に解放同盟およびその間接影響を受けた労組や市民団体が行う差別撤廃闘争の一種で古くは大正期の水平社時代から見られる。弁護人はおらず、数人対解同側100名以上で囲む事が多く集会の自由を口実にした吊し上げリンチではないかとの批判が多々ある。
なお、過去例では差別発言を行った者の自宅に100人以上で押しかけたり結婚式場に乱入したケース(※1)もあるが、解放同盟の施設や市役所・郵便局などの公共施設、寺院、市場など公共性が高い場所などを選ぶケースも見られ、公共機関が場所を提供する(させられている)事自体に対する批判や、糾弾会そのものに対する批判が多い。また、糾弾会参加者(対象者)が自殺・過労死に至ることもあり、その数は現在鷹森でカウント中で相当数いると思われるが、解同は因果関係が証明されていないとし、糾弾会を死因だと論ずる行為は「差別を助長する行為」「レッテル貼り」として、その批判を封じているばかりか、死因は行政の通達や上司・上部機関(教育委員会など)に一切の責任があるとして、自殺過労死等の責任追及を他者に対してあべこべに行っている。なお、糾弾会は手順書を作って執り行う穏便なものであり差別をなくすための学習会であり、また正当な権利であると彼らは主張しているが、彼らの主張は矛盾している事が多い。過去糾弾会に全面降伏した行政機関あるいは、企業・団体らが協力(強制?)させられている例も多々見られる。

糾弾理由は些細な事が多いが、無作為責任つまり、「差別撤廃について努力や協力をしなかった」「取り組まなかった」という”何もしていないケース”で糾弾会に発展した例もあり、何が差別とされ何が差別でないのか分からず戦々恐々としている記述も散見される。あらゆる分野で行われるようだが、主に教育・行政・出版への糾弾が目立ち、企業・宗教・個人などへの糾弾も行われる。過去には解放同盟内部でも身内同士で糾弾会を行ういわゆる「内ゲバ」(※1)もあるようだがよく分からない。

解同批判本「同和利権の真相3」によれば90年代の京都地域だけで「週一回程度」(P314)開催されているとあり、解同側の出版物「全国のあいつぐ差別事件(2002年版)」にも差別事件107件中に糾弾会実施4件、確認会実施6件、報告会実施1件、なんらかの会合実施示唆が6件、申し入れ拒否(招待拒否)が1件、準備中が2件となっており最近も実施されているのが分かる。(なお、これらは明示されているものだけであり、実際にはそれ以上の糾弾会等の開催を行っていると見て間違いないだろう)なお、室井氏学士論文(※2)によれば、水平社結成翌年の1923年に「糾弾数も1000件を超えた」とある。
糾弾会について「違法行為ではなのである」(堀田貢得氏)という意見がある一方で、八鹿高校事件の判決をもって全解連(当時)は「社会的にはもとより法的にも完全に否定された」と解釈し、室井氏の学士論文はその見解に対して疑問を呈しており、これが現状で違法なのかどうか、又は法律を作り、違法とするべきかどうかなど、議論が起きるだろう。ちなみに、最近穏便になったとあるが、その前の「穏便でない」時代の記述だと灰皿が飛んでくるだとか、朝まで激しく開催していたとか、暴力行為があったなどであり、「穏便になった」の度合いや意味がどういうものであるのか、よく分からない。(単に「超過激から超が取れた」だけなのか?決して通常の「穏便」という言葉から連想できる内容であると保証できるものではないと思うが穏便になったの意味については情報収拾が必要)なお、部落解放同盟は部落問題だけでなく、人権侵害・差別であれば分野を選ばず口を出しているのだが、拉致被害者のために糾弾会を開くなどという事例は確認できず、拉致などの具体的な人権侵害にはなんら行動を示さない所を見ると極めて恣意的であり、彼らの主張あるいは大義名分を総て正しい(それもありえないと思うが)と仮定しても運用にこれら北朝鮮の人権侵害には対応しないなどの偏りが見られるのは疑問が残る。

確認会・・・差別がまだ確認されていない場合に行われるもの。
もっともそのまま糾弾会に発展する事も多い。

報告会・・・差別事件があった場合の報告会。内容不明

学習会、連絡会、協議会、研修・・・名称は左記のものだけではなく様々な名称が付けられるが、これらの会も執り行われる。主に糾弾会で全面降伏した相手に対して、糾弾会終結の条件として定期的な学習会の要求を出す事もあれば、身内同士での学習会など「実質的にも学習会」である事もあり、また、相手に対する非難が多い「実質的には糾弾会」に近いものもある。内実名称ともに様々であり、内容の精査をしなければにどういう物であるのか判断が難しい。


・出版業界・マスコミ等への糾弾会


一九六〇年代、七〇年代のメディアの現場では、運動団体による極めて過酷な糾弾行為が実施されていることも事実のようだ。毎年全国各地で開催される「マスコミ倫理懇談会全国大会」には、新聞、放送、出版、広告等数百社が集まり、「今メディアに問われていること」をテーマに協議するわけだが、そこに出席する新聞、放送等の幹部達は皆、「辛い過酷な糾弾の思い出」を持っている。彼らの発言の随所にその苦い思い出が語られ「後遺症になっている」ことを実感させられる。


上記は「実例・差別表現 糾弾理由から後始末まで、情報発信者のためのケーススタディ」

実例・差別表現―糾弾理由から後始末まで、情報発信者のためのケーススタディ

実例・差別表現―糾弾理由から後始末まで、情報発信者のためのケーススタディ

  • 作者: 堀田 貢得
  • 出版社/メーカー: 大村書店
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 単行本

という本からの一節引用である。著者は堀田貢得氏、小学館の編集総務部長などを歴任し、その後日本雑誌協会の倫理委員長、出版倫理協議会副議長、出版・人権差別問題懇談会代表幹事など業界団体で差別表現に一貫して携わってきた、いわば差別表現問題の「専門家」であり、言葉狩りの「狩られる立場」であり、またある時は部落解放同盟の主張を肯定した「手先」のようでもあり、またある時は糾弾会から会社と社員を「必死で守ろうとする人」でもあり、またある時は過剰な言葉狩りへ「懐疑する者」でもある。その微妙で複雑で板挟みな立場が書面の節々からうかがい知れる。同書によれば、予想以上に過去の糾弾会で吊り上げられた企業は多く、おそらく大手出版社・新聞社・放送各社で一度も被害を受けていない企業は無いかも知れない。また、司馬遼太郎など思わぬ有名人も糾弾会に招待されている。それらの結果、現在出版業界では編集総務局、法務考査室、記事審査室など様々な名称で対応体制を整え自主規制(過剰という批判が一部ある)しているのが紹介されている。
堀田氏の意見はかなり解同に影響を受け、傾きすぎている気配があり、若干懐疑を挟みたい所もあるが、本稿と関係ないので割愛し、今回はこの書に取り上げられた糾弾会を追ってみる(なお、現在は大学非常勤講師を務めているらしいがこれも話の筋と関係ないので割愛する)
事例は同書掲載順番で解同そのもの、および影響や関係を受けた団体、無関係な団体を区別せずに一律掲載し、全体の流れを把握できるようにした。総てが解同ではないが、名前が出ていなくても、なんらかの関与している可能性も否定できず、どこまでが解同関与でどこからが解同非関与なのか現時点でよく分からない例も多々ある。。同書では分野別に分けられその分野内で年次に記載してあるため、こちらの一覧では年次が入り交じって見えるがご勘弁願いたい。また、見やすいように表記方法を何度か変えてみたが、これがどうやら現状で限界、若干見にくいがご勘弁願いたい。

略字団体一覧

解同・・・部落解放同盟
人・・・全解連(現全国人権連)
教・・・日教組(解同と親密)
黒・・・黒人の差別を無くす会(解同系?もしくは元関係者が発起?影響を受けているのは間違いなさそう)
SK・・・日本朝鮮研究所(正体不明)
*1・・・名古屋一市民、後障害者差別を許さない-まず『ピノキオ』を洗う会に発展。正体不明
自・・・自治労組大阪府本部
東法・・東京法務局人権擁護部
反・・・反差別統一協議会(1974年頃より狂の字をはじめとし、次々字追放運動を始めた団体)
*2・・・解放同盟含む21団体連盟
横・・・全横浜屠場労組
タ・・・全国自動車交通労働組合連合会(タクシーの労組)
堺・・・堺市人権教育局抗議
大1・・大阪市学校従業員組合、大阪市職員労働組合
大教・・大阪市学校教員労組
東1・・東京都清掃局総務部と東京都清掃労働組合
全芝・・全芝浦屠場労組(原本には全芝浦と場労組と屠の字を外している)
屠1・・全芝浦屠場労組+全横浜屠場労組
屠2・・上記プラス都庁食肉市場分会
屠3・・全芝浦屠場労組+都庁食肉市場分会
屠4・・総評全国一般労働組合神奈川地連+全横浜屠場組合
全障連・全国障害者解放運動連絡会議
全家連・全国精神障害者家族連合会
精1・・精神衛生法撤廃全国連絡会議
精2・・全国青い芝の会、東大精医連
精3・・全日本精神薄弱者育成会
精4・・日本てんかん協会
精5・・日本自閉症協会
精6・・障害者施設

結果
謝罪 誌面あるいは記者会見等で謝罪
回収 出版物の回収、莫大な費用がかかっている。
協力 謝罪の後今後の協力を約束し、抗議団体等になんらかの便宜等の行動を行った者
弁解 弁解している場合、だいたいにおいて抗議者は納得していない
謝文 謝罪文提出で済んでいる場合
無視 無視あるいは実質的に無視しているケース
解説 回収等はせず次回から解説等を付ける
修正 回収等はせず、次回から修正
自批 自己批判させられた
※1 この事件をきっかけに「人権マスコミ懇話会」発足
反撃 珍しく反撃したケース
袋叩 謝罪後に糾弾会を行う袋叩き状態  

年次 抗議団体 分類 形式回数 結果 対象
    →問題部分

1966 解同   TV 糾弾会     舞台幕末太陽伝 主役フランキー堺のセリフ
    →「たとえバカでも***でも一人の命は一人の命」
1967 解同   TV 糾弾会     NHKテレビ小説「おはなはん」セリフ
    →(駅の裏が)「柄の悪い、怖いところでしてなァ」
1970 SK    漫画 糾弾会  謝罪 小学館週刊少年サンデー梶原一騎「おとこ道」
1976 *1    出版 糾弾?  回収 小学館ピノキオ
1990 自教東法 漫画 確認会  回収 少年ジャンプ「燃える!お兄さん」
    →「
サイボーグ用務員さんの巻き」の用務員をギャグにする所、回収費用1億
1996 解同*2  漫画 確認会  協力 講談社別冊フレンドみやうち沙矢「勉強しまっせ」
1994 解同   講演 抗議   謝罪 内藤国夫元毎日記者発言
    →「創価学会は特殊部落みたいな・・・」
???? 解同?  講演 糾弾会     作曲家船村徹
    →「放送禁止用語ですが、芸能界は特殊部落です」
1995 長崎教組 講演 抗議      色川大吉日教組記念講演
    →「(解同が)山口組と重なっております」
1997 解同   講演 抗議      久保田誠一純心女子大教授(元朝日NY支部長)
    →ワシントンを特殊部落と形容
1997 解同   講演 確認会  弁解 作家鈴木光司(らせん・リングの作者)発言
1996 解同   講演 糾弾会10 協力 立教大学学生部主催セミナーKさんの
    →発表「と畜場」に関する件
1996 横    講演 確認会  謝文 朝日新聞論説委員O
    →特別養護老人ホームの特殊浴槽器械浴を「と殺場」
1998 解同   講演 確認会     JA鳥取信連での金融セミナー講師M
1999 タ    判決 ?       京都地裁山本和人裁判長の発言
1983 解同   新聞 糾弾会  ※1 毎日新聞投書欄「落伍者は非人」
1985 解同   出版 抗議   回収 宮部外骨「宮部外骨 予は危険人物なり」
1986 解同   説明 糾弾会2    電通「地域開発プロジェクト」説明会
1996 解同   誌面 確認会  回収 電通専門誌「電通報」
    →差別的発言を電通が自ら気が付き自主対応するも確認会
2001 解同   雑誌 糾弾会     バイク誌「クラブマン」
1969 解同   雑誌 抗議   協力 岩波書店「世界」三月号大内兵衛東大教授
    →論文中の「東大という特殊部落」
1973 解同人  TV 抗議   謝罪 日本テレビ系ドキュメント73
    →「この若き官僚たち」外務省職員発言に特殊部落
1973 解同人  TV 糾弾会  謝罪 フジ3時のあなた(司会山口淑子)
    →ゲスト玉置宏「そりゃやっぱり特殊部落ですよ芸能界ってのは」
2002 解同   出版 糾弾会  解説 ちくま文庫
    →「三島由紀夫のエッセイ①私の遍歴時代」に特殊部落の文字
1983 解同   広告 抗議   謝罪 京都新聞夕刊広告
    →伏見銘酒会の銘柄クイズ出題中に差別語
1983 解同   出版 糾弾会  自批 司馬遼太郎
    →上伏見酒造会記該当部分が著書からの引用と判明し
1983 解同人  TV 抗議   謝罪 日テレ久米宏TVスクランブル
    →で横山やすし発言「サラ金業者の中にはコレもんが多い」
1986 解同   出版 抗議   回収 データハウス「子女の手帳」
1994 解同   漫画 抗議      少年チャンピオン9/8号「四鬼」
    →原作者の四本指表現を自主的に5本指にした件で過剰自主規制だと
1973 解同   TV 抗議      TBS,朝日放送集団見合い番組「結婚の扉」
    →で「権威ある帝国興信所による調査」が結婚差別への助長だと
1985 解同   誌面 確認会  謝罪 社会親報3月1非付「ロマン小説のブーム」
    →「家柄、社会的地位、年収(中略)重要」差別助長
1991 解同   誌面 抗議   回収 福武書店(現ベネッセ)就職情報誌
    →「夢の助」「コネがあるか~調べて結婚する」差別助長
1995 堺    出版 抗議   回収 主婦と生活社94年発刊「男の冠婚葬祭百科」
    →履歴書の書き方に本籍地町名番地記入表現
1989 ?    出版 ?    回収 主婦と生活社「仲人の本」同上
1996 解同   TV 確認会  謝罪 TBS橋田壽賀子渡る世間は鬼ばかり
   →(第十三回)身元調査を依頼するセリフと場面
1999 解同   TV 糾弾会  謝罪 渡る世間は鬼ばかりセリフ
   →「身元がしっかりしていないと不安だから」が再度問題
1986 鳥取県  出版 抗議   回収 廣済堂「旅の手帳」差別表現平民があり
1984 解同人  出版 抗議   回収 朝日新聞社「朝日百科・世界の地理」
   →古地図に「穢多村」の表記そのまま掲載
1987 解同   TV 抗議   謝罪 フジテレビ「笑って良いとも」
   →タモリとゲストが某地名をあげ「あそこちょっと怖いよね」
1994 解同   出版 抗議   修正   新潮社「全共闘白書」
   →で京都同和地区を名指しで教育レベル低さ、暴力事件の多さ指摘
1973 解同   TV 抗議   謝罪 テレビ西日本が大映映画「浮草」
   →セリフが「職業軽視、差別を助長する」と抗議
1974 解同大1 TV 抗議      TBS「八時だよ。全員集合」
   →出演者が小間使いを連発
1978 自治労  誌面 抗議      新潮社「週刊新潮」コラム
   →「ゴミ屋を警察に」が清掃労働に対する差別と
1980 大教   TV 抗議      日テレ「スターに挑戦!」
   →ホウキで掃くまねをして「用務員」の答えを当てさせるクイズは差別
1982 東1   TV 抗議   反撃 産経新聞「週間サイケイ」
   →6/24,7/1号連載小説森村誠一※A
1990 解同   新聞 抗議   謝罪 産経新聞3/6夕刊遠藤周作コラム※B
1994 自治労  漫画 抗議      少年ジャンプ
   →「王様はロバ」で学童擁護職員をネタにしたのが職業差別
1973 全芝   舞台 抗議   中止 新劇団協議会ブレヒト作
   →「屠殺場の聖ヨハンナ」が都の感情を傷つけるおそれ
1982 解同屠2 舞台 抗議   上演 劇団俳優座
   →「食肉市場のジャンヌダルク」※C
1988 屠1   誌面 糾弾数回 謝罪 日刊スポーツ2/26記事
   →西部コーチコメント「クラブを持たせるとと屠場に行くみたいな」1989 

????  屠3   出版 抗議   回収 岩波書店「報道写真家」
1989 屠1   TV 糾弾会9 謝罪 TBSニュース23筑紫哲也
   →「多分屠殺場だね」

やっと1/3来ました。いやはや本当に腐るほどあります。
大体のおおざっぱな私見ですが、確かに酷いのもある、あるけど、それはごく一部で8~9割は言いがかりのような気がしてなりません。
少し被害者意識が強すぎはしないか?と思うのですがね。さらに、確かに酷い言動もあるかもしれないが糾弾会で徹底的に吊し上げる事を正当化する理由にはならんと思いますがね。
ちなみに、上に書いたとおり総て解同ではありませんが、間接影響は否定できず、堀田氏も「部落問題を突破口に」と明言しています。これ出版マスコミ業界限定で、しかも著者堀田氏は詳しいとは言え全部把握しているとは思えません。行政糾弾など他分野も調べたら幾つ出てくるんでしょうか?とりあえず続けます。

1991 屠1   出版 糾弾会     文藝春秋社発刊「誓約」
1991 屠1   出版 糾弾会     集英社「海のトリトン」
1991 屠1   出版 糾弾会     バンダイ「海のトリトン」(映像玩具)
1991 屠1   出版 糾弾会     電通「海のトリトン」の宣伝
1991 屠1   出版 糾弾会     徳間書店「鬼畜」
1991 屠1   出版 糾弾会     朝日新聞社小説失言
1991 屠1   出版 糾弾会     潮出版横山光輝三国志
1991 屠1   出版 糾弾会     JICC出版別冊宝島
1991 屠1   出版 糾弾会     光文社西村寿行「滅びの笛」
1991 屠1   出版 糾弾会     双葉社コミック「地球最後の日」
1994 解同屠1 出版 糾弾会  袋叩 竹書房発刊「近代麻雀オリジナル」
    →「あるいは地獄の屠殺人か」の表現
1995 屠1   新聞 糾弾会  袋叩 日本経済新聞社10/15連載コラム「私の履歴書」
    →黒岩重吾が屠殺場発言
1995 屠4   出版 糾弾会  袋叩 扶桑社「アニマルアワー」
    →「まるで畜殺場だよ」
1995 屠1   誌面 糾弾会     雑誌「週間金曜」絵筆に託して
    →「従軍慰安婦にされたハルモノの思い」に屠殺場の表現
1995 屠1   出版 糾弾会     朝日新聞出版局、朝日文庫「コルチャック先生」
1996 全芝   出版 糾弾会  袋叩 祥伝社「白い国籍のスパイス」
   →牛殺しの表現頻出、回収絶版後翌々年まで糾弾会続く
1997 横    放送 確認会     ニッポン放送「おはよう中年探偵団」
   →1/30放送、高島ひでたけが屠所の比喩を使用
1997 横    放送 糾弾会     NHKFMラジオ「ベストオブクラシック」
   →岡村喬生氏が「屠所」比喩
2000 全芝   誌面 糾弾会4 袋叩 マガジンハウス社発刊雑誌
   →クロワッサンの特集記事で屠殺場の比喩自主発見回収も糾弾
1982 解同   TV 抗議   修正 NHKトーク番組発言
   →「片手落ち」が差別表現
1982      TV      修正 同上から
   →NHK大河ドラマ原作からセリフ修正。片手落ち→片落ち
1974      TV 抗議   消音 関西テレビ「座頭市」セリフ
   →「どめくら」が神戸盲人協会抗議、移行該当セリフ消音
1975      TV 抗議   中止 劇団文化座「越後ごぜ日記」
   →に差別表現。和歌山件盲人協会が抗議
1989 議員   出版 指摘   回収 文化庁「外国人のための漢字辞典」
   →差別表現があると八代英太国会議員が指摘
1992 朝日   広告 掲載拒否    週刊新潮広告
   →広告中文言「群盲」が差別表現だとして
1994 解同   国会 抗議   議論 石原慎太郎
   →中国を支那発言※D
2002 黒    出版 抗議      岩波書店「ドリトル先生」
   →差別表現が多い
1988 全障連  広告 抗議   破棄 三反堂、大辞林宣伝ポスター
   →差別表現(つんぼ)
1988 全障連  広告 抗議   回収 角川文庫宣伝コピー
   →「目が潰れるほど本が読みたい」の表現
1988 全障連  出版 抗議   回収 小学館童話宝玉選シリーズ
   →差別表現多い
1989 ろう学校 出版 抗議      芥川龍之介「羅生門」
   →「おしのごとく」「おしのように」問題に
1998 全障連  誌面 議論   議論 週間金曜
   →本多勝一特集「~は気が狂ったか」が問題に
?  解同+  方々 要望   修正 解同+日本獣医会
   →狂牛病をBSEと使用するように要望(以後狂牛病表現消える)
1993 全家連  学会 抗議   修正 日本精神病学会
   →病名「精神分裂症」は差別助長、統合失調症に病名変更(2002年)
1974 下記   新聞 抗議   謝罪 共同通信、京都新聞
   →「狂気の犯行」精神医療を考える会が抗議
1974 全家連  TV 抗議   修正 TBSドラマ「霧の旗」
   →気違いのセリフ
1974 全家連  TV 抗議   修正 同上気違いを各局
   →連続抗議。八月放送界「気違い」を禁句決定
1975 解同   TV 確認会     NET(現テレ朝)サンテレビ
   →「スタジオ23」で野沢那智「まるで気違い部落」発言
1996 精1   方々 声明   ?  サイコパス、人格障害は不適切表現
1977 全障連  方々 要請   ?  変態、変質者を使って欲しくない。
   →逸脱、逸脱者に修正要望
1977 精2   漫画 抗議   謝罪 秋田書店「ブラックジャック」
   →(手塚治虫)脳性麻痺手術場面がロボトミー美化
1980 解同  
 TV 糾弾会  謝罪 フジ「三時のあたな」
   →出演大学教授「気違い部落」発言
1982 解同   TV 抗議      フジ「ニュースレポート600」
   →キャスター「ブラジル人はサッカー気違いです」発言
1988 精3   出版 抗議   回収 平凡社哲学事典「精神薄弱」項記述
1993 精4   教科 抗議   断筆 角川書店検定教科書
   →掲載の筒井康隆「無人警察」※E
1995 精5   誌面 確認会  謝罪 文藝春秋「週間文集」
   →で子供の自閉症原因を母としたコラム
1996 精6   TV 抗議   謝罪 TVタックル
   →桝添要一「気違いに刃物」(該当部分消音)へのたけし受け答え
2001 精7   出版 抗議   謝罪 解放出版社(!)発行写真誌
   →有田芳生著部分が差別を助長するとされ

ここまでで同書の106pまで記載されている内容です。徐々に解放同盟とは関係のない団体まで出てきており、解放同盟(系列の解放出版社)があべこべに差別を助長する行為と抗議を受け、謝罪する羽目に陥ってます。復讐の刃は回り回って己に帰ってくるというのは確かハムレットの台詞だったと思いますが、この場合は抗議の刃は回り回って己に帰ってくる、といったところでしょうか。この後218pまで続いてますが解同と関係なさそうなので一部だけ紹介すれば、解同の影響を受けたと思われる黒人差別を無くす会が1988年ちびくろサンボ抗議で廃刊、1989オバQ(藤子不二雄)抗議で回収、1990ドクタースランプ(鳥山明)SCRAP三太夫、燃えるお兄さん、こちら葛飾亀有公園前派出所、ついでにとんちんかん、に抗議、同年手塚治虫ジャングル大帝にも抗議で一時出版停止1995年主婦と生活社「あんみつ姫」出版停止と回収。2001年ニュースステーション「他の都立高校と差別化を図る」の発言が解同京都府連から指摘「安易に差別化と使うのはおかしい、この場合は個別化などと言い換えるべき」などが目に付きます。まさに怒濤の抗議・糾弾の連続と言えるでしょう。冒頭に「幹部達は皆、「辛い過酷な糾弾の思い出」を持っている。彼らの発言の随所にその苦い思い出が語られ「後遺症になっている」ことを実感させられる」とあり、同和問題に及び腰なのはジャーナリストとしてあまりに情けない話なのですが、これだけ怒濤の糾弾会があれば、これは確かに後遺症になりそうです。しかし、早く癒して後遺症から抜け出して貰わねば困ります。

・行政教育機関への糾弾

出版社よりも、実際は行政や教育機関への糾弾の方が多いと思われるが、上記堀田氏のような比較的まとめている情報を見いだせなかった。既に有名になっている同和利権の真相1・2・3巻に記載が多いのでそちらに譲りたい。

 同和利権の真相〈1〉 宝島社文庫「同和利権の真相 2」 宝島社文庫「同和利権の真相3」(仮)-


 

 

 


...後編に続く
=================================

 資料

※1

http://blog.melma.com/00090239/20040422003404
以下引用

「解放の道」(1971/3/5)より。

--
結婚式に乱入・暴行
朝田一派「橋のない川」に因縁
羽曳野市

 【羽曳野】「解同大阪府連」の朝田一派が結婚式場にのりこんで暴力をふるい、新郎をなぐりケガをさせるという気ちがいじみた暴行事件が、大阪府羽曳野市で発生。親族をはじめ結婚式場に居合せた人たちを憤がいさせました。
 朝田一派に暴行されたのは、羽曳野市職労副委員長の森田豊一郎さん(二六)。森田さんの結婚式は二月二八日午後二時から、羽曳野市立市民会館でおこなわれる予定でした。ところが午後一時ごろ、朝田一派が分裂策動でデッチあげた「解同向野支部」の和島才一、浅田満、海原明美ら二十人の暴力分子が会場に乱入。結婚式に出席していた川口清・羽曳野市職労委員長ら三人の組合幹部の首をひっぱたりして、新郎新婦の控室へつれこみ、「映画”橋のない川”の上映に協力するのは差別だ」と脅迫しました。

引用終り。
例のハンナン浅田満容疑者の名前も挙がっていますね。

※2
一橋大学社会学部 学士論文『部 落』室井 祐作
http://members.jcom.home.ne.jp/tekato/04muroi.htm
4章 (2)項より抜粋引用
水平社宣言の理念に基づき、差別解消への戦術は差別者個人に対する直接糾弾であり、創立後3月23日、大阪をふりだしに全国に展開、翌年末には3府20県に240余の地方水平社が結成され、糾弾数も1000件を超えた19。
引用終り
室井氏の論文はかなり部落解放同盟の主張を鵜呑みにしている気配があり、全面的に肯定はできないがよくまとまっている。なお、解同推定構成員を当ブログは約20万人と記載したが、室井氏の論文には18万人とあり、もしかしたら年々減っているのかもしれない。

※A
「清掃作業員には自分の職業を胸を張って言える者は。たとえたいとしても、家族は隠したがる」が職業差別として東京都清掃局総務部および同組合が抗議。ただし、森村氏は8/19「なかにはスポットに照らしだされたくない裏面もあるだろうが、それはその人多との人生、生命と現実感を伴った、息吹を吹き込むためであり、偏見と差別とは別次元である」と反論。9/28都清掃局長「体が震え上がるほどの怒りを覚える」、9/30森村氏記者会見「私たちは差別という旗印の下に、多くの日本語を失っている。訂正する意思はない」と反論。十一大都市清掃事業協議会「誤解と偏見を拡大序章するもので猛省を促す」と決議。


※B
「焼いた骨を穏亡がガンジス川に流す」この一節の隠亡が職業差別だと解同抗議、火葬係に差し替えて、「焼いた骨を火葬係がガンジス川に流す」に文章を修正した。修正後の文章、雰囲気が・・・・

翌日謝罪記事

※C劇団俳優座「食肉市場のジャンヌダルク」のセリフに屠殺場、牛殺しのセリフがふんだんにあり、差別と偏見を助長する内容だとして6回の話し合いで俳優座台本修正と公演に際して千田是也の反省書を配布し上演。

※D 石原慎太郎衆議院議員(当時)が国会予算委員会で「中国の事を私は支那と呼ぶ、この呼び方のどこがいけないのか」と発言した事について、部落解放同盟が抗議し、朝日新聞紙面上で解同書記長兼社会党代議士(当時)の小森議員との公開討論掲載し議論となった。ちなみに、中国本国ホームページ上で支那と記載しているページがその後発見され、在日の方(?)から本国に抗議した所「支那は蔑称ではない」と本国から認識不足をあべこべに叱られるという後日談があり、実は差別用語ではなく敬称だったというギャグのような落ちが付いている。

※E 該当部分を以下引用

角川書店発刊、九四年度使用予定の教科書「国語Ⅰ」に掲載された筒井康隆氏の小説「無人警察」にてんかんを持つ人簿との人権を無視した表現と、医学的にもてんかんに対する間違った考え方がある」と「日本てんかん協会」が角川書店と筒井康隆氏に抗議。さらに、都内学校長へ「採用中止」を要請、文部省に対し「検定取り消し」を要求した。角川書店は「てんかん協会は読み誤りによる不当な言い分」と抗議に反論。その後筒井康隆氏が「断筆宣言」をはっ小用するなど大きな議論を巻き起こすことになった。
引用終り

ちなみに「筒井康隆と部落解放同盟の大激論」なる記事がネットに題名だけありますが内容未確認

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(追記1 誤字修正 誤 総合失調症 → 正 統合失調症 修正2005/5/30) 

後編を投稿しました。「敵を知る後編(こうすれば怖くない第四弾)  

 
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敵を知る前編(こうすれば怖くない第二弾) [┌人権擁護法案]

前回こうすれば怖くない第一弾として
部落解放同盟と戦った弁護士達」を紹介し
「我々は勝てる」「あの弁護士が味わった恐怖に比べれば敵は怖くない」
この二つを知ることが出来ました。

今回は、「敵を知る」と題し人権擁護法案最大推進者である
部落解放同盟に焦点を当ててみます。なお、あまりに内容が多いので前後編に分けました。(中編ができてしまうかも・・・)
なお、解同だけで手一杯で、他の推進団体まで手が回りませんので、それらについてはどなたかにお譲りします。
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第一章「部落解放同盟の概要」

分類:水平社系 
略称:「解放同盟、解同」 
正式名称
本部「部落解放同盟中央本部」 (東京六本木)
地方「部落解放同盟○○連合会」
(○○の所に地名入る、38都府県で確認)

他に地方として大阪事務所・富山事務所などがある。

主要系列:解放新聞社、解放出版社、他
シンクタンク(社)部落解放・人権研究所 
(社)和歌山人権研究所(社)兵庫部落解放研究所(財)鳥取県部落解放研究所財団法人 反差別・人権研究所みえ(社)千葉県人権啓発センター(財)奈良人権・部落解放研究所香川人権研究所(財)信州農村開発史研究所(財)世界人権問題研究センター福岡県人権研究所(旧福岡部落史研究会、旧福岡県部落解放・人権研究所)、長崎県人権研究所京都部落問題研究資料センター(←ここは解同系列なのかどうか不明)


その他関係団体
反差別国際運動(IMADR)・・・主に海外、特に国連対策と思われる。
荊政会・・・同和出身、解同推薦議員の会 (サイト無しここで軽く触れ程度)
全国同企連・・・対企業用?詳細不明
東京人権啓発企業連絡会・・・東京本社がある企業用。
部落解放中央共闘会議・・・解同と日本労働組合総連合会の共闘組織
同宗連・・・同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議。曹洞宗、真宗糾弾会で全面降伏の過去有り。

人権啓発センター・・・地域密着型拠点?、傘下なのか友好団体なのか不明
ヒューマンライツ・・・アジア交流拠点?、同上不明。大阪HRは日英中韓の4カ国語対応




第二章「その勢力と関係団体、敵対団体」


・解放同盟の勢力

国内最大規模を誇る同和団体。推定構成員人数約20万人
過去最大動員実績約7万8,000人(S55年警察白書、※末尾資料参照)
最強の圧力団体、戦後最大のダブーと呼ばれ、さまざまな大事件に関与しておりながら、ほとんどマスコミ等で表に報道されなかった団体であるが、特措法の失効による財政支援低下及び、一部色々と情報が表に出てくるようになり、内部に動揺が走り、急激に弱体化しつつある。なお、300万人部落民が後ろに控えているという記述をどこかで見たが、解同号令で300万人全員が動くとも思えずおそらくハッタリだろう。奈良県が発祥の地らしく書かれた記述を見たが、事実か勘違いか地域へのリップサービスなのかはよくわからない。はっきりしている事では、全国水平社のトップだった松本治一郎(1887~1966)が旧称「部落解放全国委員会」時代の初代執行委員長に就任し、戦後初の参議院選挙で当選(初当選は戦前1936衆議)も果たしており、初代参議院副議長を勤め社会党左派のドンと呼ばれたという。なお、1955年に部落解放全国委員会は現在の部落解放同盟に改称している(ちなみに、エンカルタ百科事典だと改称ではなく「再編成」という妙な言い回しになっていて気になる)なお、現在孫の松本龍氏(解同中央副委員長)が民主党(福岡一区)から出馬し国会で衆議院の議席を得ている。解同県連各所のホームページを見る限りにおいては、大阪、三重、広島、福岡が特に強い勢力地で、かつ過激であるように感じられる(ホームページを持っていない連合会の方が今のところ多い)。各連合会のなかで一番強そうな大阪府連の委員長は、中央書記長も兼務する松岡徹氏で、同氏も民主党比例から参議院の議席を得ている。なお、勢力基盤は西日本に集中し、東日本は比較的弱く、特に東北地方は地方連合会をHP上確認できず、東北には勢力があまりないと思われる。また、2chの書き込みを分析する限りにおいては、同じ西日本と言っても地域格差がかなりあり、部落解放同盟の名を知らぬ者はない地域もあれば、ほとんど意識せずに生きていける地域もあるようだがこの部分は2chの雑談しか情報源が無く詳細不明。なお最近、千葉を強化し関東拠点にしようという動きがあるという噂がある(未裏付け)。

・解放同盟の支持政党、選挙協力

また、民主党HPの支持団体として正式に記載されているが、京都では自民党の野中広務(現役当時)に選挙協力するなどの過去実例から、利害関係に合わせて時には無節操に、時にはかつての敵(野中氏はその昔、解同脱税疑惑を国会で言及した事があった)でも、どことも接触接近するし、利害損得で簡単に裏切るという感じはある。なお、現在の正式支持政党は民主党と思われるが、元々社会党系→社民党系と呼ばれており、過去の関係から、社民党とも鉄壁の盟友関係と見て良い。ほぼ日本共産党以外は全方位外交と見て良いかも知れない。

・解放同盟の「敵」と「味方」

1985年から上杉委員長訪朝に始まり、現組坂委員長も朝鮮総連について守った事があり(※資料参照)、その件も含めて北朝鮮に訪朝し、金正日総書記と面会も果たし協力を約束している事から、朝鮮総連および北朝鮮と極めて親密な関係にあるのは確実と思われる。
 また、現在朝日新聞とは友好(盟友?)関係と思われる。NHK対朝日戦争の発端となった本田記者とも仲が良いようだが詳細不明である。なお、解放新聞社および本部ほか数地方連絡会・支部はバウネット女性国際戦犯法廷の正式な賛同団体として名を連ねている。
 窓口一本化と呼ばれる同和行政の独占および排他攻撃性のため、他のほとんどの同和団体と敵対している(ただし、末端同士では利害接触、癒着はあるかもしれない)。 日本共産党とは永く敵対関係にあり、マスコミが沈黙を守っていた関係から、解同批判はかなりの部分が日本共産党および全国人権連(全解連)によるものが多い。これら、日本共産党および全国人権連(全解連)に対して「デマ」「事実無根」「利権あるいは党利党略のための信じられない行為」と、すさまじいまでの誹謗中傷を解同は行っているが、これらの敵対勢力以外にも内部からの批判「同和は怖い考」通信があるため、敵対勢力の批判がまったく事実無根のデマであるとは考えにくい。総務省は糾弾会(文中には一部の団体とだけ記載だがおそらく解同の事だと思われる)に対して疑問視しており解同に対して敵視しているようにも感じるがよくわからない。それに対して法務省は友好的ではないかと思われるがこれもよくわからない。警察白書の文面からして公安警察は解同を危険視していると思われ、公安調査庁もおそらく監視対象にしているのではないかと予想されるがどちらも明言は避けているため確実だとは言えない。過去解同の過激行為に関与して逮捕者が相当出ているという話を全解連系?と思われるサイトおよび全国連系?と思われるサイトで散見したが、公的ソースは未確認である。

・シンボルマークと他の同和団体との関係

シンボルマークは赤い荊冠(キリストが磔になった時かぶらされた冠)で本部HPトップで確認できる。(かなり毒々しく描かれている)なお、地方および出版物だともう少し簡要シンボル化した物を使用している。同和団体としては、水平社を母胎とする水平社系列と自民党が保守に呼掛けた融和系の2系統に分類され、融和系はこの呼び名の通り、部落民と非部落民との融和を目指す立場であり、融和系と部落解放同盟(水平社系)は同じ同和団体とはいえ、根底からして考え方が違うが、必ずしもそれぞれの団体で意思統一が完全に図られている訳ではなく、融和系の考え方に近い解同構成員も入れば、その逆もいる(敵対している日本共産党でさえ解同に好意的な者がいるかもしれない。また、なんとなく、経緯上解同に残ってしまったような人もいるようだが、外部からだとよくわからない)。水平社系は部落解放同盟を筆頭に、解同から分裂した全解連(現、全国人権連)、過激な全国連、さらに再々分裂した小さい団体、さらに一体何の関係があるのかよくわからない連中までざまざまな方々が看板上げており、それらが「部落解放」の名を冠しているため、かなり類似名称が多く紛らわしい。別系統の融和系から分裂した団体や活動拠点が狭い弱小団体を入れるとその数は200団体とも500団体とも言われる。それぞれ類似名称を使用して紛らわしいが、通常「部落解放同盟」と言うと、「部落解放同盟中央本部と部落解放同盟○○連合会の地方と本部を併せた組織」を指す。なお、全国連では「解放同盟」と呼ばずに解同本部派と呼んでいる。(おそらく解同の別組織ではなく、解同内部の派閥抗争という形に持っていき、地方組織を傘下におさめたいのでは?と邪推するがよくわからない)水平社系および部落解放同盟から分裂した組織は、大体において「部落解放」を名称のどこかで使用している(ただし全解連は昨年外して、現在全国人権連と名乗っている)。融和系だと部落解放の名称は付けず、自由、同和、融和などの単語を好んで使う傾向にあるようなので、両者2系統の区別は比較的容易だが同系統だと難しい。

・解同の出版物

解同系列の解放出版社からは日本出版協会BOOKSで検索すると808冊発刊されており、精神的・思想的・論理的・感情的支柱となっている。また、「食肉・皮革・太鼓の授業―人権教育の内容と方法 」という内容が想像できない題名の書や、「つくって知ろう!かわ・皮・革 別冊はじめての和太鼓演奏 」など意外な書も発刊している。(彼らは太鼓が大好きなようだ)。朝日新聞社出版局からは二代目委員長を継いだ朝田 善之助の「差別と闘いつづけて」が出版されている。



第三章 解放同盟と人権擁護法案



・解同は「人権擁護法案」の生みの親

以下引用

全国のあいつぐ差別事件(2002年度版)「発刊に当たって」

本年は、約三三年間続いた「特別措置法」が失効した年であり、また一九二二年に全国水平社が創立されて八〇周年という節目の年にあたっております。一九八五年に「部落解放基本法案」を公表して以来、部落差別をはじめとしたあらゆる差別撤廃と人権確立を求め続けてきた私たちの取り組みは、幾多の紆余曲折を経ながらも確実に進んでまいりました。人権差別撤廃条約への加入、国連人権教育一〇年の推進本部設置や国内行動計画の策定、人権教育・啓発推進法の制定、そして現在よりすぐれた人権救済制度とするために抜本修正を求めている「人権擁護法案」などはまさに「部落解放基本法」制定運動の中から生み出されてきたものといっても過言ではありません。

(以下略) 

2002年10月 部落解放・人権政策確立要求中央実行委員会会長 大道晃仙


引用終り

過去、公明党を関ヶ原西軍の大将毛利、総連を石田三成、解同を島左近と形容したが、上記引用からだと、人権擁護法案の父が解同、母が公明党と言ったところか、総連を仲人と呼ぶべきか、兄弟と形容すべきか、どちらが適切なのかそこがまだ分からないが、大道氏の記述からすると、少なくとも人権擁護法案は部落解放同盟が生み出したと言っても間違いではないだろう。おそらく解同があきらめる時が廃案になる日である可能性が高い。(公明や他の推進団体が志を引き継ぐ可能性は否定できないが、少なくとも解同があきらめる事が廃案の最低前提条件になるだろう)

・人権擁護法案の別称
人権擁護法案は、人擁法(ブログ鷹森)、擁護法(一部ブログ、最近見ない)、人権法(共同通信、最近見ない)言論弾圧法案(てんこもり氏)人権ゲシュタポ法案(平田氏)など様々な呼び方をされているが、解放同盟内部では救済法(人権侵害救済法)などと呼ばれている。文面を各種見ると「人権擁護法案=救済法」「人権擁護法案≒救済法」と二通りに受け取れる内容で記述しており、解同および解同支持者と思われるサイトでも混乱が見られるが、ほぼ救済法設置要求は厳密な議論の場でない限り、人権擁護法案だと思って差し支えないだろう。(例 解放新聞で○○に救済法設置の必要を訴えたとの文面があれば、人権擁護法案の推進と受け取って差し支えないと思う)。救済法という名称は人権フォーラムでも一時使用している。(人権擁護法案の別名については前々から準備中で、後日投稿する予定)

・解同方々に働きかけている?

また、人権擁護法案について検索していたら、なぜか日本聖公会管区事務所がひっかかり、同教会管区事務所のサイト内に「部落解放セミナー・フォロー・アップ学習」なるページがあり、「人権擁護法案の動向と部落解放運動の今後」なる内容で話をし罰金罰則の必要性や、文化改革を訴えている場面が掲載されている。また、日本聖公会のサイトを方々見てみると、宗教というよりは政治的話題が多すぎるが、これは一体?また、第一章「概要」に掲載した全国同企連のサイトや同宗連のサイトからも、救済法(≒人権擁護法案、もしくは=人権擁護法案)の必要性を必死に訴えているように見える。この調子で方々出向いて説得しているのだろうか?

第四章 解同の大義名分 ~被害者を捜す旅~

人権擁護法案の大義名分である「差別に苦しむ人々」を探せ

解同は何度も何度も「差別に苦しむ人々」と叫び大義名分にしているのだが
部落解放同盟のHPを見た限りでは「差別に苦しむ人々」と単に連呼するだけで、具体的にどういう差別で、年間何件発生しているのかは、ほとんど明示していない。本気で差別をなくそうと取り組んでいるなら毎年何件発生しており、こういう取り組みで「何件減少した」など表記するのが当然だと思うが、明記しないのは大変疑問である。少なくとも私なら明記する。さて、散々webで探し回ったし相当時間も費やしたがついに発見する事ができなかった。そこで解放出版社を調べ「全国のあいつぐ差別事件〈2002年版〉 」を入手(印税収入など増やすのは癪だが)したのでご紹介したい。
ちなみに、最新版(2004年版)が入手できなかったので、2002年版を入手した。ページが138ページ。内前書きが20ページ、索引が3ページ。件数にして107件(索引から数えるとネット5件を1つに取りまとめているので103件)

内訳は

差別文書の投書8件(個人1、解同系市議宛1、商工会議所宛1、JA選挙絡み1解同県連宛3(市協、や市の同和関係事務局同報)町集会所宛1)、

落書き35、電話5、ネット5、差別発言14、入居拒否1、
高額図書の押し売り1(※部落差別と偏見をばらまく行為なので差別事件だそうです)、水平社を名乗る行為1(これも差別事件だそうです)、ホームヘルパーが地区出身者を言った後、買い出しが手渡しだったのが箱渡しでレシートも入れるように指示があった「ホームヘルパー差別事件」が1、身元調査3(内1件は同和地区の有無を市役所に電話で問い合わせた内容で、個人の身元調査という訳ではない)、就職差別3、企業職場での差別事件4、公務員による差別事件2、結婚差別2、教育現場における差別事件が20、宗教界における差別事件が1、マスコミ出版界における差別事件が1

となっています。一応前書きには以下の通り記載ありますので引用

本書で紹介した記事は二〇〇一年一月から一二月までの間に生起もしくは発覚した差別事件、あるいはこれ以前に発覚し、この間に糾弾会などで集約を確認した差別事件を拾い上げその中で比較的事実関係が明瞭で典型的な事件を選んで編集・紹介している。

とあり、また同前書きの中には大阪府同和事業推進協議会(行政側だと思われる)が集約した数字も掲載されていますので引用します。

「あいつぐ差別事件2002」大阪府同和事業推進協議会より
部落差別の行
落書き138 発言19 発言・落書き 0 電話34 投書47 張り紙2 記述 0 ビラ3 インターネット9 計252

なお、前書きインターネットの項には「2ちゃんねる」および「いちごえびす」が名指しされています。また、「集約しきれていない」とも一応書いてはあります。

鷹森の感想
・・・どうコメントしたらいいのか分かりませんが、厚さ的には六曜手帳に収まりそうですね。そういえば、某議員が朝日新聞の人権侵害を調べたらちょっと調べただけで電話帳ぐらの厚さになった許せない云々という事を言ったという噂がながれましたがね、あの話を思わず連想してしまいました。ちなみにこの本厚さ約0.6cmです。量だけでなく質においても、正直言って、「はぁ、深刻なのこれ?」と思えるのが多々ありました。必死に大げさには書いてますがね。しかし、水平社を名乗ったり、悪徳商法も差別事件にカウントされるのは知りませんでした。投書の中には、確かに差別用語も入っていますが、同時に不正告発し調べてくれと言う文章もあるようですし、どう考えても人権擁護法案を作ってまで対処しなければならない深刻な状況には思えません。なお、同宗会の会議を報道した宗教新聞(→下から2番目の記事)には「部落解放同盟三重県連合会の松村智広氏が「三重県における部落差別の現状と課題」について報告した。このなかで「差別はなくなっているという人がいるが、なくなっていないからこの集会がある」と述べた」とあり、方々でこの大義名分が「人権擁護法案の必要性の根拠」として説得に使われているようですが、「確かに無くなってはいないという言葉は字義的には嘘ではないですが、その中身はこれですよ」と正しく認識してもらう事が重要だとも思います。

・・・「敵を知る」中編に続く

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○関連資料

・警察白書昭和55年より
http://www.pdc.npa.go.jp/hakusyo/s55/s550800.html
 部落解放同盟、極左暴力集団等は延べ約7万8,000人を動員して「狭山闘争」に取り組んだが、特に、「10.31狭山闘争」の前段である10月27日に東京検察合同庁舎横路上で火炎を放射し、窓ガラス等を破壊する「ゲリラ」事件を敢行したほか、10月31日には、部落解放同盟等23人が東京高等裁判所に不法侵入した。
 関係都府県警察ではこれらの違法事案に対し、極左暴力集団等87人を公務執行妨害、建造物侵入等で検挙した。
 一方、部落解放同盟等の部落解放運動関係団体による各種の「行政闘争」やこれらの組織間の対立抗争等に伴い7件の違法事案が発生した。
 関係府県警察ではこれらの違法事案に対し、傷害、建造物侵入等で24人を検挙した。

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朝鮮新報「南副議長、部落解放同盟中央本部訪問」(2002年)
http://210.145.168.243/sinboj/sinboj2002/2/0211/82.htm

 総聯中央の南昇祐副議長は7日、韓正治国際局長とともに部落解放同盟中央本部を訪ね、組坂繁之中央執行委員長らと新年のあいさつを交わした。

 南副議長は席上、昨年末の総聯に対する強制捜査の際、部落解放同盟がいち早く政治的弾圧行為だとして日本当局に抗議したことに触れ謝意を表した。

 これに対し組坂委員長は昨年、米国で起きた9.11事件後、日本は危ない方向に向かっている、米国ばかり見ずに1番近い隣人と仲良くすべきだと語った。

 南副議長と組坂委員長は、若い世代が歴史認識をしっかりと持つようにすることが大事であり、今後、朝鮮と日本の友好親善を発展させ、ひいては国交正常化を実現するためにも幅広い交流が必要などと、意見交換。組坂委員長が今年中の訪朝を希望したことについて南副議長は、訪問の条件が整えられるよう互いに努力していこう、と語った。

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全国人権連  

分類:水平社系
旧称:全解連(全国部落解放運動連合会)
正式名称:全国地域人権運動総連合
シンクタンク:(社)部落問題研究所

鷹森備考:解同と死闘を繰り広げる人権団体。
部落解放同盟→部落問題正常化連絡会(1970)→全解連(1973)→全国人権連(2004)と、部落解放同盟から分裂・対立した同和団体。
昨年、終結宣言を行い部落解放の名前を外した。
まだ、名称変更からほぼ一年しか経過していないため、かなり広範囲の資料で全解連の名前で語られているため「全国人権連(全解連)」とブログ鷹森では旧称併記する。
1.部落解放同盟を徹底に批判
2.人権擁護法案も徹底反対
3.同和行政の終了を訴える「なくす会」が広島に発足している
4.部落差別は無くなったと主張
5.糾弾会を不当だと主張

なお、部落解放同盟は「全国人権連(全解連)は日本共産党系」だとし、全国人権連(全解連)の批判一切を事実無根のデマ・中傷であると断定している上で書いたとおりである。こちらで確認すると、日本共産党がリンク集に入っている事と、日本共産党の人権擁護法案の関する主張がある程度シンクロしている部分を確認しているので、日本共産党と親密関係にあるのは間違いないが、「日本共産党系だから言ってることは間違い」とは思えない。
シンボルマークは1973年の解同からの自立(分裂)時に荊冠を棄てている。現在は地球に人が手をつないで囲んでいる図案を使用している。解同と比べると、毒々しさは図柄から感じない。なお、上にも記載した通り、もっとも長くかつ正面から部落解放を批判しており、自然と全国人権連(全解連)が部落解放同盟の批判情報をもっとも多く掲載している事となる。また、権力闘争と見る向きもあり、利権争いかもしれないが、そうすると「なくす会」まで発足させる必要性は無いので、単なる利権争いでは無いかも知れず、ここら辺がよく分からないのが、消化不良という感じである。全解連時代の1995年時点で35都府県に組織、会員約8万人、現在は不明。

------------------

全国連    分類:水平社系 正式名称:部落解放同盟全国連合会

これまた、部落解放同盟から分裂し敵対している団体。
およそ
1.人権擁護法案は反対
ただし、我々の反対理由とはかなり違い、解同のエセ同和利権拡大を許すなという主張で、利権を我々によこせという風にも感じ取れる。
2.糾弾会を推奨し、他の団体にも煽っている。
部落解放同盟に最近おとなしくなったもっとやれと煽っている所がある。
3.部落解放同盟以上に過激(村ぐるみで差別糾弾闘争をなど)

鷹森備考メモ:

全解連が部落解放同盟のやり方にうんざりして飛び出したと仮定するならば
こっちは正反対で「それでは飽きたらず飛び出した」というのがピッタリの団体
一応、人権擁護法案反対なのだが、反対理由も目的も我々とはかなりかけ離れている。この団体過激な言動の割には批判も危険視もあまりされておらず、正直、ネットではあまり相手にされていない感じはする。解同と全国連はお互いを「エセ同和」とののしりあっている。解同が発刊する「解放新聞」に対抗して「部落解放新聞」なるまたまた紛らわしい名前の新聞を発刊している。某サイトで”解同は人権擁護法案に反対している”などというとんちんかんな事を言っている人がいたが、おそらく混乱と情報錯綜の起因はこの紛らわしさにあると推測する。(調べる側としてはこういう類似名称はホントに勘弁して欲しい)なお、シンクタンク機構は確認できなかった(多分無い)5万人組織を目指すと言っている事から、それ未満の組織規模であるのは間違いないようだ。

シンボルマーク:部落解放同盟と同じ荊冠だが、色は黒と違いがある。(HPで確認できる
---------------------------------------
(追記 全国の相次ぐ差別事件(2002年版)の厚さを誤って約1.6cmと記述していたので、0.6cmと記述訂正。 2005/5/14)
(追記2 誤 地方「部落解放○○連合会」 
   → 正 地方「部落解放同盟○○連合会」と同盟を追記修正 2005/5/14)
(追記3 松本治一郎のくだりは政界復帰ではなく、鞍替えのようでしたので修正 2005/5/14)
(追記4 全解連名称変更は2004/4/4。一年経過してましたので該当部分を修正しておきました。 名称変更から一年経っていないため→名称変更からほぼ一年しか経過して)






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解同と戦った弁護士達(こうすれば怖くない第一弾) [┌人権擁護法案]

さて、今回から人権擁護法案について少し別方面から見てみようと思います。
題して「こうすれば怖くないシリーズ」第一弾「部落解放同盟と戦った弁護士達」とし、三池紛争で、「労組とタッグを組んだ部落解放同盟」と戦った弁護士の日々を紹介してみようと思います。

長島・大野・常松法律事務所 - 沿革 - 蛎殻町から紀尾井町まで
http://www.noandt.com/history/kakigara/10.html

------------------引用始め----------------------

(以下 弁護士 長島安治氏と思われる執筆)

さて、銀座時代で最も大きな出来事の一つは、三井三池の大争議に、新労組と呼ばれた第2組合の組合員とその家族の人権擁護を同盟(※解同の事ではない)に頼まれて、大野さん、福井さんと私の3人が1週間交代で大牟田の旅館に泊って新労組の事務所に常駐し、第1組合やその支援団体の連中の、想像を超える有形無形の暴力行為を、何とかして止めさせようと奮闘したことでした。

それは総評傘下の三井三池労働組合の闘争至上主義に絶望した組合員達が全労系の新労組を組織したところ、裏切り者だとしてその組合員と家族達に旧労組の組合員とその家族達が間断なく加えるようになった激しい物理的・精神的迫害から、彼等を弁護士として力の限り守るという、全く新しい経験でした。以下に掲げる大野さんの回想記にもその一端が生き生きと記されていますが、人間は集団心理によりここまで少数者である同僚やその家族を迫害できるものかと、おぞましい醜さを痛感する毎日でもありました。旧労の組合員達の中には、水筒と称して節目の詰んだ太く重い竹筒を棍棒代わりに持ち歩く者もいました。また釘を先端に打ちつけた棒を持つ者もいました。そのように“武装”し、数をたのんで炭住街(炭砿夫の長屋街)をのし歩き、夜には暗に乗じて、路上で新労組員を襲いました。公衆浴場の女湯で新労組員の子が入っていると、旧労組の主婦達が、「犬の子はこうしてくれる。」といって逆さ吊りにして頭から湯舟につけたりもしました。それに対して新労側は、暴力を否定していましたから、殆ど為すがままにされ、せいぜいコショーの粉で目潰しにすることを考える程の、いじらしさでした。大野さんと福井さんと私の三人は、一週間交代で三池に常駐し、毎日、新労の事務所を拠点に警察や検察庁に出かけたり、告発状を書いたり、新労の内部の会議に出席したり、新労を支援する民社党の代議士に会ったり、会社側の弁護士と連絡をとったり、忙しく働きました。時には、旧労の組合員や旧労を支援する部落解放同盟の連中に十重二十重に取り囲まれ、吊し上げを受けて恐ろしさを感ずることもありました。反面、百戦錬磨の組合の指導者が、内部で意見を集約して行く力量に感嘆したり、世を震撼させた大争議に各政党と内閣やマスコミがどのように係ってくるかを、組合の側から見守ったり、得るところも少なくありませんでした。

また、振り返ってみると、この経験は私達三人が水も洩らさぬ連係体制をとって、3ヶ月に亘り交代で一心に職務を遂行しながら、相互の信頼をそれまでにも増して強固なものとすることにより、後の旧N&Oの精神的基礎を磐石のものにしたのだろうと思います。

(ここまで長島氏。以下大野氏執筆)

三池争議のこと 弁護士 大野 義夫


旧労組の実力行使による阻止のため流血の惨事が生じたことは、天下の耳目を聳動しました。それで取りあえず1ヵ月の予定ということで、長島さん、福井さん、私の3名が1週間交代で大牟田の新労組本部の事務所に常駐することになったのです。

(中略)

社宅街における暴力事犯の被害者からの事実聴取と告発状の作成作業、本部法対部員の手助けを借りながら1日に6、7件を処理。それと併行して新労組員の被疑者との面接、担当検事(福岡地検大牟田支部、時には本庁)との折衝、新労執行部との協議、助言、さらには警察への警備要請等に追われました。また長島さんが道を開いていた会社側代理人(竹内、渡辺さん等長島さんと同期の方が中心)、会社総務担当の人々との会合、意見交換等を行い、当時結成されていた大牟田再建市民運動本部の代理人(東京からの若手弁護士数名)とも同様の会合を持ちました。旧労側は総評、炭労、解放同盟等の多数オルグの動員を得て、会社側の立入り禁止仮処分を阻止すべく、大牟田の街は騒然としていました。

(中略)

解放同盟といえば、新労が旧労を批判した教宣文書に不当な用語があったということで、新労本部3役の即時辞任を要求し、連日強力な抗議行動、デモ行動を繰り返したものです。この処理をめぐっては社会、民社両党の代議士等による話合いが続き、中々解決できませんでした。また旧労と三池共済会が原告となり新労組員多数を被告として、争議中の生活資金貸出しにつき貸金返還訴訟を福岡地裁に提起してきました。その目的は新労組員の糧道を断ち、新労の潰滅を図るものであったことは明白です。この訴訟については福岡の弁護士を中心として、法的問題点の検討、応訴方針等の打合せを重ね、後には私たちも被告ら代理人として出廷するようになりました。

 

------------------引用終り----------------------

人権擁護法案に関係して、部落解放同盟を調べていたら、かの悪名高い三池争議(三池闘争)にぶち当たるとは予想もできませんでした。
部落解放同盟いろんな所に首突っ込んでるんですね、さすが「人権救済」を声高に叫ぶ団体だけはあります、言っている事とやっている事があべこべです。

さて、この弁護士、新労組や民社党の支援および弁護士であるという地位を割り引いたとしても


1.本名を出している
2.リアルで対峙している
3.文中からして多数に無勢が伺える

この3点からして、多少の支援を割り引いても、我々よりはるかに不利な状況での戦いだったと思います。
しかしながら、彼ら弁護士側には正義があり、少数ながら仲間同士を信頼しあい、ひたすら告発文と陳情を繰り返す日々である事がうかがい知れます。文中には「物理的・精神的迫害」「水筒と称して節目の詰んだ太く重い竹筒を棍棒代わりに持ち歩く者」「釘を先端に打ちつけた棒を持つ者」など恐るべき光景を彷彿とさせる場面があり「おぞましい醜さを痛感する毎日」とあり、極めつけは「部落解放同盟の連中に十重二十重に取り囲まれ」です。これリアルでやられたらどうなるか想像してみてください。
しかし、彼らは地道な努力を続け、勝利する事(引用してない文末尾「昨日と変って全く平和である」参照)が出来たわけであります。
現在人権擁護法案をめぐる戦いが続いており、上記と相通ずる「おぞましい醜さ」を感じる事が多々ありますが
我々よりはるかに不利な環境で多勢に無勢で戦って、勝った弁護士が居るわけであり
それを思えば、「我々は勝てる」「あの弁護士が味わった恐怖に比べれば敵は怖くない」
この二つを知ることが出来ると思います。
今回は、部落解放同盟と戦った弁護士を紹介するにとどめ
次回は”こうすれば怖くないシリーズ第二弾”「敵を知る」(予定)を投稿しようと思います。

(追記 続編第二弾「敵を知る(前編)」を投稿しました。) 

     
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人擁法安全論破られる [┌人権擁護法案]

部落解放同盟が展開していた、人権擁護法案安全論が破られた

○安全論の内容

厳しい局面打開をはかり、今国会で
「救済法」の制定実現をかちとろう「解放新聞」(2005.4.4)
http://www.bll.gr.jp/news2005/news20050404.html

以下引用

しかも、人権委員会の委員の選出にあたっては、「両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」ということになっており、不適当な人が選出されるかもしれないという議論は、両議院と内閣総理大臣にたいする「予めの不信任」を意味するものである。また、人権擁護委員にいたっては、権力的な権限は一切もっていないことは一目瞭然であり、むしろ歴史的・社会的な事由や国際化の状況を考えた時に、定住外国人たちのなかから選出される人権擁護委員がいることは共生社会実現のためにもきわめて有益であり、国籍条項などを設ける必要性は微塵もない。

引用終り


部落解放・人権政策確立要求中央実行委員会(2005/2/23)
http://blhrri.org/topics/topics_0115.html

以下引用

したがって、都道府県ごとに「地方人権委員会」を設置することが必要です。既に、鳥取県や大阪府・福岡県でも条例による「地方人権委員会」設置の方向を具体化しようとしており、現実的な方向となってきています。

引用終り

人権擁護委員にいたっては、権力的な権限は一切もっていないことは一目瞭然」と言いながら「条例による「地方人権委員会」の設置を具体化し、現実的な方向となっている」と自己矛盾した言動をしている。もはや疑念でも可能性でもなんでもない、彼らは彼ら自身の言葉ではっきりと明言しており、仮に、地方人権委員会の設置が100億歩譲って正当だと仮定しても、人権擁護委員権限ないから安全論は完全に破られた。

過去投稿していた内容だが、その重要性に鑑み改めて投稿する。
もはや、疑念でも疑惑でも可能性でもない明言である。
繰り返す、安全論は破られた

     
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てんこもり氏を勝手に分析する [└ほっと一休み]

てんこもり氏を勝手に分析する

感情的人権擁護法案反対派の頭目、反対とりまとめサイトの作成者
もはや有名人と化した自称愛称「ご飯てんこ盛り野郎」ことてんこもり氏を勝手に分析する。ちなみに、やり方はかなり違うが同じ反対派なのでできるだけ客観的に分析しようとは思うが、どうしても”好意的色眼鏡”がかかっているのをご承知願いたい。(念のため言うが、男色の気はまったくないのでそういう意味での好意的という話ではない。いや実は自称野郎が嘘で、彼が女性で、なおかつとびっきり美人であれば話は別だが、たぶんそれは無いだろう)

てんこもり氏は4つのブログを持っている。

『勝ち組』倶楽部~てんこもり野郎BLOG
http://hobby.2log.net/zk1/

死ね死ね団による日本植民地化計画を分析するBLOG
http://xtreme.seesaa.net/

『あの国のあの法則』BLOG
http://s03.2log.net/home/kkk666/

人権擁護(言論弾圧)法案反対!
http://blog.livedoor.jp/no_gestapo/

まず目に付くのは「画像」特にあの国のあの法則で使用されている画像は趣味の善し悪しは別として、かなり見事だ。
出所がどこかは分からないが、素人レベルの物ではない。おそらくイラストレーターやフォトショップは軽く使いこなせる人物でなければこれだけの物は作れない。

次に目に付くのが情報感応の速さ、判断の速さの2つ。
私が人権擁護法案に気が付いてはじめて反対投稿を行ったのが、2005/3/10の早朝、第一回法部部会開催の日である。
私もかなり情報感応は速いほうだと思っていたが、てんこもり氏には負ける。
ブログ初投稿が2005/02/16である。
http://hobby.2log.net/zk1/archives/blog756.html
こいつは仕事が速い

次に忘れてはならないのが、反対派のなかでもっとも過激である点
センセーショナルで扇動的ですらある。反反対派らに指摘されるとひるむどころかさらに過激になっていく。不思議な点は、反反対派らが「指摘すれば過激さが増す」という事を気が付くと反反対派らの指摘批判が静まっていった事である。(3月頃の話。まぁ現在も一部あり、再燃しているようだが)
彼自身も明記しているが、推進派は偽善ではないか?という疑念は反対派全員が持っている。
この言動の過激性は素か意図的かそれとも両方なのかよく分からないが、結果的に
「てんこもり氏を批判すればするほど、推進派は自らの言葉で自らを縛ってしまい、そういう行動がとれなくなる」
という皮肉な結果になっている。逆に言えば、てんこもり氏が批判を一身に背負うことにより我々他の反対派は身の安全が保証されているのである。
これは、そこまで考えているのか偶然の産物かよくわからないがもし意図的なのであれば、偽善の反対語として「偽悪」という言葉を作り、彼に贈るべきだろう。


そしてもっとも意外なのが案外論理的な点。
法案解釈論争が勃発したとき、私はうかうかと乗ってしまった。
これは必要で重要な事であるのだが
難解な法解釈に持ち込み、思考停止と行動停止に陥らせるのは常套手段である。
てんこもり氏は即断で感情的反対で十分だと判断した。
反対運動として3月4月を振り返ると
1.法務部会でいつ通過するか分からない状況(時間が少ない)
2.反対するには多数の声が必要(味方が少ない)
という状況下では、「論理的で確実に論破していくなどの時間は無い」訳で
なおかつ論理的である事は必ずしも大衆に訴える要素ではない。
つまり、あの時期を振り返ると「論理的でなく、感情的反対論である方がもっとも効果が高い」訳であり、「論理的に考えると感情的反対派」という結論が出る。
そうすると彼自身は自称感情的反対派と言いながら
もっとも論理的な思考をする人物である可能性がある。

以上の点から考えて

てんこもり氏の感情的反対論は擬態である可能性があり、過激言動も素なのか擬態なのか分からない。
また映像の綺麗さを考えると、そういう友人を持っているかあるいは
彼自身がなんらかの技術者である可能性が高い。
もしかしたら案外論理的な職業かもしれない。

最後に

よく知りもしない人物をあれこれ書くのはどうにも趣味にあわない。
こういうのは最初で最後にしておこう。
なお、当人から削除依頼あれば当投稿削除します。


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人擁法の詭弁 [┌人権擁護法案]

人擁法の詭弁

「悪用されない法律案になっている」の嘘

1.「国家公務員だから安心論」の詭弁

・人権委員と人権擁護委員はボランティアからの選出である
・行政不服審査の対象なのか否なのか、未だにはっきりしない
・実効性が少ない罷免規定、事実上罷免は不可能に近い
・差別の禁止処罰は国内初の法律=過去の判例、規定に縛られない
・独立規定がある組織を果たして、官は統制できるのか?


2.「人権擁護委員は権限ないから安全」のもう片方で・・・

・権限ないから安全と叫びながら、事務局採用と
 地方人権委員会の要望を出す推進団体
・しかも、広範囲の地方自治体が既に採択していると言う

3.二人送れば人権委員は掌握できてしまう

・開催は過半数以上、非常勤3人

4.一般救済でできてしまう糾弾会

・できる「公私団体」への連絡
・推進団体が人擁法設定の目的に掲げる「糾弾会への公権力排除」
・「糾弾会は当然の権利」とのたまい、糾弾会をやる意思を棄てていない
(追記 5/4 14:30
・第六十二条2は特別救済を対象とした資料配付であり、しかも禁止ではない
 「当に関係者の名誉又は生活の平穏を害することのないよう注意しなければならない」→糾弾会を禁止する条文ではない。念のため追記)

5.人事権を自ら掌握する「人権擁護委員」

擁護委員の罷免は人権委員全会一致が必要 (法案読み間違いです、ここは擁護の方ではなく、人権委員の方でした、大変失礼しましたお詫びすると共に修正させて頂きます 5/6 23:15)
・人事権に口出しできる弁護士会と連合会(擁護委員の集合体※1)

6.「権力の相互監視」が鉄則なのはなぜか?

・相互監視をしなければ、いずれ”腐る”という鉄則と原則
・その原則に則り、現在の社会は動いている
・人擁法にはたして「権力の相互監視」は規定されているか?

7.安全論は、詭弁もしくは見抜く力の不足から来る物

・法解釈ほどあやふやな物はない
・他の法律との条文比較をさらに読み深めると、詭弁が見抜ける
・安全論の矛盾する無限ループ
 危険な運用→法解釈上ありえない
 条文比較・法律の不備→そのような運用をするはずがない

一々ソースを上げるのは時間短縮のため省いた。
既に、多くのソースを過去当ブログで提示しているし、多方面で語られているからだ。

(追記 5/4 20:27 連絡会はミス→連合会ですので修正しました
 なお、正確名称は「都道府県人権擁護委員連合会」です)

     
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